2008年1月9日水曜日

半井小絵(なからいさえ)さんの素顔に迫る


「伝える」幸せを感じて


午後7時28分の恋人を誰よりも心待ちにしている人がいる。半井小絵なからい・さえ)さんの祖母である。

「高齢で体が弱いのに、私の天気予報を見ては喜び、元気に長生きしてくれている。それが何よりうれしい」。祖母の話になった途端、さわやかな「笑顔の恋人」の目から、思わず涙がこぼれた。



――日本銀行にお勤めでした


親の思いもあって大阪支店に勤務しましたが、秘書業務が一番好きでした。テレビや新聞に出ていらっしゃるような方にお会いできるのもワクワクしたし、上司が次に何を求めているのかをタイミングよくキャッチして動いたり、複数のお客様がいらした時などに臨機応変に段取りを考えたりするのも楽しかったですね。


――それがなぜ、転職?


20代後半に入ったころ、自分で見つけた目標に向かって頑張ってみたくなったのです。

それまでは、わりと両親や周りの人々の期待に応えることを優先させて生きていた気がします。

それもいいけれど、一度きりの人生なんだからもっと主体的に自分らしく生きよう、一生続けられる仕事を見つけようと思うようになって。

目標とするには資格がいいだろうと思い、気象予報士を目指すことにしたんです。


――気象予報士にしたのは?

祖母の影響です。祖母は小学生の時、京都で室戸台風の被害に遭いました。校舎がつぶれて多くの子どもが亡くなったそうです。

祖母は運よく助かったのですが、以来、台風や雷など自然の脅威にとても敏感でした。祖母と一緒にいつも空を眺めていたせいか、小さいころから天気に関心があったのです。


4度目の挑戦で試験を突破


――銀行に勤めながら、2年間も予備校に通われたとか


当時は窓口業務で残業が少なかったので、週2回くらい通っていました。夏期講習に参加したり、夜中に起きて勉強したり。


もちろん銀行の仕事が最優先でしたから授業を欠席することも時々ありましたが、勉強ざんまいの2年間でしたね。4度目の試験で合格することができました。


――気象キャスターという職業は最初から狙っていたのでしょうか?

資格の勉強をし始めて、次第に、せっかくなら、自分で出した予報を人に伝えられる人になりたい、とぼんやり思うようになりました。でも、キャスターという仕事はまったく意識していませんでした。


それが合格後、予備校の授業で面識のあった方から気象会社を紹介していただき、そこへ転職。最初はラジオで気象キャスターをしていました。


その後、NHKの気象キャスターのオーディション受験を勧められて。受けたら運よく採用となったのです。